2009年11月 4日 (水)

スペシャリスト

 前回は、プロフェショナルとは何かということについて書いたが、プロフェショナルと良く混同される言葉ですスペシャリストということばがある。

 なにか、聞いているとこのプロフェショナルとスペシャリストは同じ意味のように考えられていることが多いような気がする。プロフェショナルは、自律性、利他性、専門性そして倫理性の4つが問われるものだが、すぺしゃりすととなると、じつはこの中の専門性のみを取り上げる人たちを言うのだ。

 ある部門に精通ししている人いわゆる専門家を意味するのでより正確にそして寄り迅速に仕事をすることが求められる人たちをいうのだ。

 医療の世界でも当然のことながら、明確にプロフェショナルとスペシャリストは区分されているに違いない。残念なことにそれが明確でないが故に混乱する医療を生んでしますのだ。

 

2009年11月 2日 (月)

プロフェショナル

 プロフェッショナルな人材の代表的な意識やイメージは、自律性、利他性そして専門性、倫理性が問われるのだという。

自律性は、自ら考え、自ら決断し、すべてに責任を負うこと、利他性とは、自己の満足と顧客の利益のために品質にこだわること、専門性として、社会的に認知された高度な専門技術・知識を持つこと、そして倫理性とは、正義の質に責任を負うと言うことに集約されるのだ。

 むろん、一般企業にかかわらず医療機関においても当然のことながら、自律性、利他性、専門性、倫理性が医療機関は一般企業よりも高いものが求められる。もちろん、経営的な自律性、満足するための利他性、高度な知識と専門技術の専門性そして正義の質医療機関には何が欠けても瓦解する。

「競争すればいいものができる」、「管理すれば安くできる」という市場原理の論理ばかりが先行している日本で、自己と顧客のためにこだわる「プロの論理」を忘れてはならないと思うのだ。医療も同様で、ゴージャスな建物、そして、ますメデイアに乗ったと言うより乗らされる間違った医療の論理が競争を生む、そして、アウトソーシングで安く、そしてロイヤリティは失うのだ。まったく関係のないところでいろいろなことが起こっている。

しかし、守らなければならないのだ。医療の本質とプロ意識を

2009年11月 1日 (日)

インフルエンザワクチン騒動

 TVを見ていると新型インフルエンザのワクチン接種が結構取り上げられている。いやいや、国民全てにわたって、接種できるような錯覚を抱くし、病気のことなのにずいぶんやり方がぶれにぶれている。

 新型は2回接種すべきだといったかと思うと、有効性から1回でも良いんじゃないかという。どちらでも良いから早く決めてくれと医療現場は悲鳴を上げている。言われるたびに、現場は大混乱だ。そのうえ、医療従事者最優先といいながら、全ての医療従事者の接種分を配給したかというと、全部は配布されずにどうもチョイだしみたいな感じで全ての医療従事者がワクチンを打つことが出来ないという状況になっている。それでも、マスコミはもはや日本の医療従事者は全て接種したような錯覚を覚えるような報道だ。

 実際は、まったく不足していてもそんな報道はまったくない。おかしな話だ。終わってもいないのに次は基礎疾患のある人に打てと言う。馬鹿にするにもほどがある。

 医療従事者は接種したでしょ(一部)今度は基礎疾患のある人(一部)なんだよ、どうなってるのか?わからないがこんな迷走もどうすることもできないようだ。

 医療従事者はすべて接種が終了しました。次は基礎疾患のある人接種終了しました。次、妊婦終了しました。と言う具合にできないものだろうか?

一部が接種してすべてが終わったような錯覚を与えるマスコミや厚労省のぶれは本来許されることではないはずだ。ワクチンは配給なのだから道筋をつけてやれよと言いたいが・・・まったくこんなことで気持ちのいい言葉にごまかされて先導、誘導するマスコミは許されて良いものではない。

 もちろん、厚労省のばらまき政策が招いている結果だと思う。まさか、これも、前政権のやったことだから僕たちは知らないとは言わないと思うけど、どうかわからない。こんなはずじゃなかったということになっているのが現状だ。

 現在日本迷走中。大当たり!手なところを新型インフルエンザの騒動で垣間見た。

2009年10月31日 (土)

病院の財務状況

 日本病院会、全日本病院会、東京都病院教会の3団体で調査した「民間病院の経営状況の実態及び資金繰りの状況に関する調査緊急集計報告書」を公表した。

 それによると、36%の病院が運転資金が不足気味、18%の病院が大幅に不足していると回答している。その上で銀行から返済を求められたことがあると答えたのは12.5%もあったという。そのほか新規借り入れは渋られているという。もはや、一般企業とまったく同じような取り扱いになってきている。

 というのも、結局のところ安全管理や人件費の高騰が原因であるとしている。いやいや。まったく持って理不尽な状況になってきたものだ。しかし、ここで、現政権が施行しようとしているモラトリアム構想にのっかて借り入れ猶予なんかした日にゃ永久貸し渋りになるに違いない。

 それこそ、どうなるかわからないので、来年の改訂までひっそりと末以外に方法はないと思う。

2009年10月29日 (木)

理念経営

 理念経営と言う概念がある。この概念は経営と理念をリンクすることが経営に良い循環を与えるということなのだ。まあ、一般企業ではよく使われてる。

 当然だが、病院も企業のひとつだから、3つの理念使命がある。まず第一は、product missionと呼ばれるもので適切なサービスを行うことを言う。第2は、雇用を確保など種々の社会貢献を果たすことである。これをsocial missionと呼んでいる。そして、第3はeconomic missionと呼ばれるもので利潤を得て赤字を出さないということだ。

この三つの理念使命がうまく回転することで、職員が潤う給与を支払い、医療機器を購入心、そしてよりよい医療サービスを提供しさらに、再投資ができるようになるのだという。

この、理念経営による好循環サイクルができあがると病院の経営運営は順調に循環し始めるのだ。結局は放漫経営を脱却して慎重な経営を行いながら、大胆な社会貢献が重要になるのだということだ。

医療に関していれば、医療サービスは国民の共有財産であるとの認識にたって理念を堅持することによって道は開けるのだ。

医療は他の職種と違って多くの規制や制限があるが、不況に拝外に強い職種体質を持っている。結局、病院経営は利潤を追求するのではなく理念を追求することによって,社会からそのご褒美として利潤がついてくると考えられている。

結局、病院が理念経営を実践することによって利潤がついてくる医療制度と診療報酬の改訂が行われることを来年こそ期待している。

2009年10月26日 (月)

病院のリーダとは?

 リーダーシップというものをリーダーには求められる。それは何かというと、最適化と変革・創造だといわれている。

 最適化とはなんだろうか? 与えられた資源、予算、期間の中で最大の成果をあげることであるという。医療で言うならば、与えられた資源、期間で最大の地要項かをあげることだと言うことができることをいう。

 変革と創造とはいま行っている仕事を中・長期的な視点に立って改善する。そして、新しい価値を付加していく活動をいうのだ。

 一般的に初級管理職(係長や主任と称する人)では最適化と変革・創造を別の職務として分担する場合が多くみられるし、上級管理職(課長や部長と称する人)では、最適、変革、創造と言うリーダが求められるものすべてを、一体の職務として担当することが求められるのだ。

 そうだからこそ、リーダーには組織の中で自ら先頭に立って実行し、成果を生み出すことが求められるのだ。企業はそのために必要な「能力」と「意欲(覚悟)」を持つリーダー育成のための教育が必要になる。

 医療従事者を見ていると、医療従事者そのものがプロだから、変革と創造は当然の仕事になる。逆に言えば、プロフェッショナルには「リーダーシップ」と「専門性」が求められると言うこともできるのだ。

 「専門性」は知識や技術・ノウハウなどの専門力や専門分野における人的ネットワーク、職業倫理などをあわせた概念だから当然のことながら医療従事者は持っていると言えるのだ。しかし、主任や係長・課長・部長などなどの職位によって、求められるリーダーシップや専門性のレベルは異なってくる。ということは、結局のところ部長級は教育のパターン化はできないものだと言うことだ。

 これは、均一的な教育は課長クラスまででその上になると、個別の教育が求められると言うことだ。いやいやリーダになるのも大変だし、簡単にリーダーシップなんて言うけれどこれまた難しいものなんだなということがこんなことを考えているとわかってくる。

 医療機関の教育は本当に難しいと言うのが。実感だ

2009年10月25日 (日)

DPC対象病院の退出ルール

 中医協では、診療報酬基本問題小委員会を9月18日に開催してDPC対象病院の参加及び退出のルールのうち緊急退出ルールをの具体的な手続きを決めたという。

 DPC対象病院やら臨床研修病院などが減少するなんてちっとも考えていなかったが、結構いろいろあるらしい。22年度臨床研修病院は56病院も減少したというから驚きだ。それぞれ理由があるのだろうが、このシステムが将来的に医師確保につながらないということがわかってきたと言うところなのだろう。

 看護師の場合はさらに悲惨だ。看護専門学校は学生が主たる経営を行っている病院に入職数がどんどん減っていることを理由に、閉鎖を模索している学校が増えているという。

 いやいや驚いた。医師が研修する病院は減少し、看護師はなり手はいるものの、最初から紐付きで病院付属の看護学校を卒業してもそこに就職しない数が多くなってもはや学校を経営しても致し方ないと閉鎖が徐々にだが出て来ている状況だ。

 こんな状況では、むろんちまた言われるようにDPCが果たして?と言うことになるし医師の予期せぬ退職などなどまったく追われるようにDPCを辞めたくないのか辞めたいのかはわからないが退出基準を決め始める病院もどうやらでているような感じになってきた。

 いったいどうなっちゃっているのだろうか?わからない。さてさて、簡単にDPCから退出を求められる場合のルールはというと7:1または10:1の届け出、診療録管理課参体制の届け出、標準レセプト電算処理マスター似対応して正確なデータを提出すること、そして、過去2年間で調査金のデータと病床の比が8.75以上という4つをクリアしていないと退出を求められる医療機関と言うことになる。

 それでも、この4項目を満たしていても診療報酬改定の5ヶ月前までに理由を添えて届け出をすれば3月末に退出できると言うことになっている。

いや知らなかった。DPCから退出すると言うことは、出来高に戻ると言うことだがどういうメリットがあるかはわからない。それでも、厚労省の向かう道は包括医療であることに変わりないので出来高に戻すにはかなりの勇気がいることは間違いない。

今回は,この退出ルールに加えて緊急退出ルールなるものを決めたというのだ。どんなことかというとだ、DPC退出審査会に審査と決定を委任する形をとっているが、この想定範囲が医師の予期せぬ退職などにより急性期医療を提供できなくなった場合や地域での役割が変化して慢性期病院に変換した場合などがあげられている。

へ~てな感じだが,結構こういうケースが今後増加することになるのかもしれないと言う予感がする。

2009年10月24日 (土)

2007年度病院経営管理指標報告書

厚労省は2007年度病院経営管理指標報告書を公表した。

それによると、一般病院(一般病床が全体の80%を占める病院)を解説者別に見ると、医療法人立は71.6%の病院が黒字を出していた。もちろん、自治体立になるとその比率が25.1%「、社保関連56.8%、その他公的46.4%となっている。いやいや、官民でこれほどあるということを改めて知らされた。なかでも、自治体では厳しい経営観環境が明確になった。

医療法人立を病院の種類別に見てみると、精神病院が、89.7%療養型81.3%、ケアミックス74.4%、一般病院71.6%と言うことだそうだ。なるほど、精神、療養、ケアミックスそして一般ということになるのは理屈抜きでわかるような気がする。

こうなると、精神病院の民間が最も黒字率がたかく、自治体立の一般病院が最も収益率が悪いと言うことになる。なぜ、こんなことが起こるのだろうか?この報告書では,人権比率載っていた。それによるっと、医療法人は52.7%、社保が53.0%、その他公的52.7、自治体立63.6%と言うことだ。一目見てみて人件費が高いんだなあと言う印象だが、医業収入に対する人件費だから一概にそうは言えない。きっと、収入が少ないつまりは働かない構造も推定できるし人員配置があついのかもしれないのでわからないというのが本音じゃないのだろうか。

とりあえず、公民格差が大きいことはわかるし、その原因はいろいろなことが考えられる。とはいっても政策医療の面も否定できないので無駄も多いというのが本音のところにある。単純に民営移管を達成すればよいと言うものでもないことは心にとめておくことが必要だ。

民営化で国鉄からJRに変わりサービスが良くなった。新幹線以外,医河童はほとんど使わないから便利でサービスが良くなったと思うが、結局は赤字路線をどんどん廃止して経営の効率化を図った結果も忘れてはならないと思うのだ。過疎化は進み、地方の交通手段は切り捨てられたと言う印象はぬぐえない。

医療も、同様に経済性や効率性だけを問うても,国民の健康は守れないのだということは忘れてはならない。郵政民営化も同様だ。総合的なサービスを経営医率性を考えるときりり捨てが始まっている。分社のために,”地方の郵便局はお金は預かるが簡保は扱っていない。”なんてことが起きている。

 それでもどれもこれも、国民が選択した選挙がおおもとの原因なのだ。JRの民営化の時は中曽根内閣で国民の支持率は高かったし、郵政民営化の選挙で小泉政権は大勝した。すべては、選んだ国民にそのツケが回ってくる。いいのだそれはそれでいいのだと言い聞かせる以外にない。

国民の健康を守るためには現存する病院の再編よりも地域のニーズを十分に理解した上で考える必要があると思う。医療を守るには、地方分権がダイヤモンドのように見えてくる。地方分権こそが地域医療を支えることになるのではないのだろうかと思うようになった。

少し話はそれたが、利益率を最後に書いておこうと思うのだ。医療法人は2.0%、自治体立-14.6%社保関連-1.9%その他公的-2.1%だ。まあ黒字と言っても2.0%だから全体的には生き残りをかけて経営はますます厳しくなってき手いるという印象は免れないな~。


2009年10月23日 (金)

既得権益

 天下りは大きな問題だという。このブログでも以前書いたように、天下りと言う言葉は、神が天から降りてくることだからそんな言葉は使わないというより,使う方がおかしい。

  なぜこんなふうに呼ばれるのかとういうと、官僚の既得権益の問題だからだ。既得権益の定義はWikipediaによると”社会的集団が歴史的経緯により維持している権益”簡単に言えば、社会集団が持つ特権なのだ。官僚の特権が問題で天下りは問題だと言うのだと思う。

 だからこそ、官僚の既得権益、特権であるいわゆる天下りは問題だとマスコミは大騒ぎと言うことになり、国民はそれに同調して大騒ぎという構図だ。

 ところで、ちょっとした小冊子を読んでいたら、上場企業の中でもっとも年収が高いのは某テレビ局らしく、社員の平均年齢が39.6歳でなんと平均年収は1,534万円、30歳時の年収は989万円だそうだ。いや確かに高い。

 なぜこんなことになっているのか?答えも書いてあった。テレビ業界が高級な理由というのは大規模地上波放送は、総務省が電波の割り当てをしないと参入できない構図で、新規参入がほとんど無く既得権益化しているからだそうだ。デジタル化もこの既得権益の拡大の一つだと言うことになる。

 なんだ、マスコミ自身たちも既得権益という特権を持っているから給与が高いのだ。一般庶民とかけ離れているのはそういうことなのだ。つまりは、既得権益を守って自分たちがいい思いをしているという点では変わらないじゃないかということか~

 それじゃ、どうして官僚の天下りという既得権益は攻められるのだろうか?

 テレビをはじめとするマスコミが、官僚の既得権益を批判するその奥底に、別の既得権益を持っている異なる社会的団体(マスコミが官僚を責め立てるのは・・・)が、”相手の権益を奪って自分たちの権益を拡大”しようとしているからだと読むことができる。許認可制度を維持させ、自分の権益をまもり、マスコミ力で政権をも変える力を持つ様になったのだ。これを、既得権益の拡大と言わずして何というのだろうか。

 なんだか、年収比較を見ていると既得権益という言葉が浮かんできて、浮かんでくるといろいろなことが氷解する。マスコミこぞっての自民党批判、そしてそれを支えていた官僚を批判して合法的政府転覆。

 いやすごい力を持ったものだ。今度はOと言う国会議員を政界の黒幕や権力の集中を容認しヒットラーのような独裁者を作ろうとしているのかもしれないな~と言う妄想も浮かんでくる。マスコミの暴走と言うよりマスコミの思惑の中で日本は舵がきかない船のようになってきているのかもしれない。

 マスコミの既得権拡大の抗争は、官僚を打ち破った。次はどこに矛先が向くのだろうか。よくわからないが恐ろしい。

2009年10月22日 (木)

破綻する医療機関の特徴は?

破綻する医療機関の特徴はあるのだろうか?なんと破綻する医療機関には似たところがあり、ある人は括弧でくくられるという。

まず、駐車場が狭いという共通点だという。駐車場が狭いと集患に大きく影響するという。集患できないということは外来患者からの入院が少なくなることを意味することになる。なるほどな~駐車場の広い、狭いは外来患者の集患に影響し、それが入院患者数に影響すると言うことになるということだ。

考えてみると、医療の機能とか医療の質などはあまり関係ないのかもしれない。むしろ、こんな外的因子が医療機関の繁栄に影響するのだ。

やはり同じように、建物にも共通項があるらしい。どうも、無計画な継ぎ足しや死角の多い病棟、そして複雑な導線これらがすべてに影響してくるという。妻英は、統一感のない建物は、患者はもちろん医療従事者に違和感を与えるという。なんだか身につまされるが、建物は、駐車場は、なんだか物理的な因子ばかりだ。

物理的な因子だけで物事を言うのであれば、結局患者は馬鹿だと言うことになる。なぜか、綺麗なところで腕が悪くても入院して体を健康にということになる。ぼろは着てても心は錦という歌があるじゃないかと思うのだ。腕のいい医者に診てもらうということが重要だと思うのだがそこは欠落している。

昔、患者は病院にかかるのではなくどの医師に診てもらうのがその患者の運命を決めるのだと言った高名医師がいたが・・まったくその通りだと思うのだ。それなのに、患者は駐車場があり、綺麗な統一感を持つ建物がある医療機関に行くという。

やはり、患者に医師の顔が見えない、医療の質が見えないと言うことなのだと言うことなのかもしれない。そんななかで、外見だけで決めてしまう今の日本人の本質が見えてくるような気がする。

医療機関へ患者としてかかる方法・選び方は、医師を選ぶと言うことが原則だと言うことを忘れているような気がするのだがどうだろうか?それが歴史的な医療機関の破綻をもたらしているとしたらこんな不幸なことはないと思う。

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